本当の孤独死までの塵箱

毒しか無かった人生。もう唯一の願いは、呪いのアカウントになりたい。苦しみを残す場所。

今まで、どこにも書けなかった事

3.11の日、被災地の事を風化させないのは大切だと思うし

当時の事を、色んなnetやSNSやテレビなどでも特集するし

ここ近年では、SNSとかに当時その日は…自分は、こうだった

…みたいなのを被災した人以外でも書いてるのを、よく見かけるようになった。

それに便乗する訳じゃ無いけど、10年経って…今こうして本当に唯一、とにかく書き殴るだけ書いて

確認とか見ずにでも、そのまま直公開したりとか出来るくらいの…個人の日記帳として、このブログを作って本心を書けるようになったから

初めて、少し書いてみよう…と思った事がある。自分の中で多分、少し暗い気持ちとして消えない一つになってるけど諦めた事。

被災した人は、もっと大変だから…って気持ちが強くて、当時から今までどこにも書け無かった自分の事。

 

私は当時の、その日の…約1ヶ月近く前くらいに、人生初の手術をしてた。

正直、当時…毒親とも絶縁する間際で一番ちょうど色々あったし

手術の内容的に…と言うか病気の内容的に当時(は居た)の異性ばかりの友達には話しづらい事とか色んな事があって、人間関係でもしんどくて

一番、精神的な病気もMAXで悪い状態の時で…精神科も二次被害に遭いまくりながらも、やっとカウンセリングを受け始めたくらいの頃で

その上…今私が病院恐怖症で何年も医療機関に掛かってない、そのきっかけを作った

当時の手術前に通ってた町医者での、えぐいエピソードとか…精神疾患の無理解による、術後の酷い目に遭ったエピソードとか

そして色々あった挙句、綺麗に治る筈…と言われてたし、事前に同じ手術を調べまくってた時にも大丈夫だった人が多いから出来るだけ安心するようにしてた手術痕が

感染症になって中々、治りも悪くて正直それでも辛い日々を過ごしてた。

本当に色んな事があって。正直、今思い返すと…壮絶な術後を送ってたと思う。

 

そして、ちょうど10年前の3.11の日…の明け方くらいだったと思う。

なんか手術痕に違和感を感じて、見てみると…

毛のような黒いもの?が少し出ていて、服に引っかかるので

え?治ってきて毛が生えて来た?って、少し触ってみたら

もう少し奥から急にポロっと、もう少し大きな塊?みたいなものが取れて…

(この時の恐怖は、今思い出しても少し動悸がする

紫色の手芸糸くらい?の結び目?で…ぎょっとした。

え?手術で縫合?した結び目が取れちゃったの?

え?傷口が開いたらどうしよう?

え?それより、もう1ヶ月近く経ってるけど何コレ?

勿論、医療の事なんて何も分からない一般人だし…正直、怖かったしパニックだった。

でも何か物凄い痛みとかがある訳でも無いし…そこに至るまでに散々、病院関係のトラウマで既に恐怖症になりかけてたので

特別どこかに相談とかも出来ずに…と言うか、出来る所も無く

とにかく、もう…一人でガチガチ震えながら結局netで調べてた。とりあえず病院が開く時間帯まで。

時間が来て、とりあえず手術した病院に電話して聞いてみたら…とりあえず来いと言われ、午後の予約を取った。

ちなみに、その病院までは電車で2駅にバスで少し掛かる。いつも苦労してきたけど、車も無い家。

そして病院に行く準備をして、そろそろ家を出ようか…としてる時に、あの東日本大地震があった。

 

間違いなく今まで経験した事の無い大きな地震だったし、初めて地震で正直あそこまでの恐怖を感じた。

マンションの上の階だったので、普段からそこそこ揺れたけど…あんなに揺れたのは初めてだった。

その瞬間は、どこで何がどうなってるか?とか全く分からずに…当時まだガラケだったし、私の住んでる地域は停電はしてて

とりあえず病院に行かなきゃ?って頭も、まだあったし…エレベーターも止まってたので

階段で降りて駐輪場まで行ったら…大きな余震が結構、続いてて

駐輪場の壁がパラパラと落ちてきて、え?マンション潰れたらどうしよう?

…みたく怖くなって、とりあえずマンションの敷地内より広い外に出る事にした。

外に出て駅の方面に向かってったら…どこかの水道管が破裂したのか?マンホールから噴水してて、そこらじゅう水浸しになってた。

もう停電の時点で、電車も動いて無いだろうし…時間に間に合うように病院に行く事は無理だろうと思ってたけど

まだ、どこかで変に…予約時間に行けません、って伝えられないの申し訳ないかな?また何か嫌味を言われないかな?とかの感覚も混在してる変な気待ちで

それ以前に電話も通じないし…段々、事の重大さも感じて来たのに

町中が停電してて、情報も何も分からない中…駅前のマックを通り掛かったら、そこだけラジオをかけてくれてた。

それで、やっと…震源地とか、どんなに何が大変な状況になってるかを最低限でも知る事が出来た。

その足で近くのヨーカドーに寄って…ラジオ付きの懐中電灯にもなる、手動で充電も出来る防災の小さな機械?を買って

家に帰った。もう、この時には…手術痕の事なんて正直、諦めてた。

 

不安はあったけど、今痛くなかったり…何かヤバくないなら、もうイイや。と思った。

とりあえず夜が明けるまでnetで調べてた時…紫の糸は、手術で使われるもので身体に吸収されて消えてく筈のものだとは知れたし

何か変なものでは無いと知ったし…大丈夫と自分に言い聞かせて。

痕が綺麗に残らない事を、ずっと落ち込んで来たけど…ただでさえ毒親から長年、受け続けた容姿ディスでのコンプレックスが強かったので

コレ以上…更に醜い身体になるの?とか

大体の人が綺麗に痕は目立たなくなる手術って散々、見てたのに…どうして私は?

…みたいに術後ずっと色々、思い悩んできたけど

なんか、もう…

被災した人は、もっと大変だから…とか

今もっと深刻で大変な人ばかりだから…とか

あ、この辺の地域でも…地震で怪我したかもしれない人とかで、しばらく病院は大変かも?とか

どの程度、自分が深刻な状況か何も分からないので…この程度で病院、今来たの?(笑)って思われるかな?とか

色々。なんか、そーゆー事ばかり考えて

結局その後も何も、この手術痕の事は一切しなかった。

一般人だし、今も…手術ではよくある、あるあるな事だったのか?そうでも無い事で、本当は医療機関に掛かるべき事だったのか?何も私には分からない。

でも今程、当時まだ…自分の身体とか人生とか未来とかについて、ここまで諦めては居なかったので

なんか、自分の身体を諦めた大きな事の一つには正直なってる。

今も汚い痕はハッキリと残ってる。

10年経っても薄くもならないし、何も変わらないし…もう綺麗になる事は無いんだと思う。

もう今は、何も感じなくなったけど。

毒親育ちでブラックまみれ毒友まみれの人生でモラ生活で、本当に人生終わってるけど…今は病気まみれで、もう何年も医療機関にも掛かってないし何もかも諦めてるけど

その上、汚い傷物だし…って意識も正直ずっとある。本当に一つも救いようが無い人生だな…って、いつも思ってる。

10年経って、初めて表に出した気持ち。

 

結局、私は何もかも助からないように出来てるんだな…って思う。いつも誰か優先の人生。

死んでないのは苦しみ続ける為なんだろうな…って思うし。誰かが幸せで居る為に誰かに不幸を笑われるだけの人生。

私より辛い人は、そりゃ居るんだろうけど…

子供の頃から、常に…お前なんかより、って言われて来た人生。

私の辛さは誰にも分かって貰えないし、私個人の気持ちは尊重なんかされないし

一生、人間扱い…一人の人の気持ち、としては考えて貰えない人生。

こんなに物心ついた時から死について考えてるような人生でも、そんな子供だったりしても…どこでも助からなかった人生。

ただ苦しみ続けるだけ。生き地獄なだけ。

正直、私より不幸な境遇の人なんてたくさん居るとしても…私よりは、誰かに優しくして貰えてると思うし、誰か一人でも味方になってくれる人が居ると思うし、人々から同情されたり助けられたり慈悲を与えてはもらったりしてるんでしょ

…とかしか、もう最近は思えない。

私は本当の孤独。何年も何年も人から酷い目に遭い続けた挙句、裏切られ孤立させられ

過去の酷かった事も、大人になるまで認識できなかったくらい酷な事も、地獄の中でも前向きに頑張った時期とかも…何一つ報われず

もう誰も二度と信用なんか出来ないし

本当に最後の一つだけ残ってたような人間への希望も失った

今も毎日毎日、酷い目に遭ってる

もう狂ってる。何年も。

狂ってる自覚があっても、どうにも出来ない。

私だけが、どんな境遇でも…誰にも言えないし、誰にも分かって貰えないし、誰からもかわいそうとすら思われない、人間扱いされない生き物。全ての踏み台の憂さ晴らしの為だけの生き物。掃き溜め。塵箱。ずっと塵箱の人生。

一切まともな感情なんて無い、常に狂ってる酷い目に遭い続ける毎日で。人から危害を与えられる日々で。それが日常で。

逆に、まともで居る方法ってあるの?コレ以上どうしたら気持ちが殺せる?

ざっと見ても30年以上は、そんな中だろうがバカみたいにニコニコやってきたよ。

そして、どうして…そこまで精神が殺され切ってるのに、死ねないの?生き地獄から抜け出せないの?

もう疲れた。